ケツカッチンのお笑い動画・芸歴・芸能噂話・運営しているSNSなどの情報

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ケツカッチンは、和泉修こと釘田修吉さんと、高山トモヒロこと高山知浩さんによる、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑いコンビです。

もともと和泉さんは1984年から清水圭さんとコンビを組んで、「清水圭・和泉修」として活動していました。
しかしながら、1993年に清水さんがピンで東京に進出してからは、事実上の活動休止状態となり、コンビとしての活動はなくなっていました。

一方、高山さんは1988年から河本栄得さんとコンビを組んで「ベイブルース」として活躍していましたが、1994年に河本さんが劇症肝炎による脳出血のため25歳の若さで死去、以後、相方を亡くした悲しみを胸に抱きながらも「ベイブルース高山」としてピンで活動を続けていました。

そして、2001年に和泉さんが「M-1グランプリに出たい」と強く思ったことをきっかけに、清水さんとのコンビを正式に解散、高山さんとともに「ケツカッチン」を結成しました。
かくしてケツカッチンのふたりは「M-1グランプリ」に出場し、2001年は3回戦敗退という結果だったものの、2008年には準決勝まで進み、敗者復活戦にも出場しました。
2015年にも再び「M-1グランプリ」に挑戦し、3回戦まで進んでいます。

ケツカッチンの芸風はなんといっても漫才で、結成のきっかけともなった和泉さんの「もう一度漫才をやりたい!」という強い気持ちが込められています。
電車に駆け込み乗車をしてドアに顔を挟まれながら「渋谷で待ってて~」というネタから、一気に高山さんの娘さんの名前に関するボケに話が飛んだりするのですが、全く違和感がなく、非常にテンポの良い、スピード感溢れる漫才が特徴です。

ケツカッチンとしての受賞歴はまだありませんが、和泉さんの受賞歴は、1986年「第7回今宮こどもえびすマンザイ新人コンクール」福笑い大賞、1987年「第8回花王名人大賞」最優秀新人賞、「第16回上方お笑い大賞」銀賞、1988年「第23回上方漫才大賞」新人賞となっています。
高山さんの受賞歴は、1989年「第20回NHK上方漫才コンテスト」優秀賞、「第10回今宮こどもえびすマンザイ新人コンクール」福笑い大賞、「第4回NHK新人演芸大賞」優秀賞、1990年「第11回ABCお笑い新人グランプリ」最優秀新人賞、「第25回上方漫才大賞」新人奨励賞、1991年「第20回上方お笑い大賞」銀賞、1995年「第30回上方漫才大賞」審査員特別賞、となっています。

元相方・河本さんの死後、そのショックから塞ぎがちだった高山さんですが、ケツカッチンの結成後は和泉さんとともに、ライブや舞台、関西を中心にテレビ番組にも多数出演し、かつての輝きを取り戻しています。

河本さんとの出会いから没後までの思い出を綴った小説「ベイブルース 25歳と364日」を発表、河本さんの20回目の命日にこの小説が映画化され公開されたり、今でも不定期でベイブルース復活イベントを行うなど、ベイブルース時代のファンや思い出をとても大切にしています。

一方、和泉さんはケツカッチンとしての活動以外にも、奈良県生駒市で「足識食癒施術法」サロンを経営したり、食育等健康に関する講演も行っています。
それぞれ経験も実力も十二分にある、ケツカッチンのおふたりの今後の活躍も楽しみですね。

結成時期 2001年
所属事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
芸風 漫才
この芸人と似ているタイプの芸人 不明 ※情報お待ちしております
運営しているSNS 和泉修(ケツカッチン)のツイッター
高山トモヒロ(ケツカッチン)のツイッター
ケツカッチン高山の公式ブログ「ハシリガキ」
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