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酒井くにお・とおるは、酒井くにおさんこと酒井国夫さんと、酒井とおるさんこと及川幹男さんによる、松竹芸能所属の兄弟漫才コンビです。

兄のくにおさんは東京教育大学(現在の筑波大学の母体)に現役合格するほどの秀才であり、全共闘運動にも参加していましたが、ある日立ち寄った浅草松竹演芸場で見た社会派コント「コント・コンビネーション」の風刺劇に強く惹かれ、リーダーのみなみ良雄さん(現さがみ良太さん)に弟子入りをすることとなります。
ストリップ劇場・新宿ニューアートで初舞台を踏んだくにおさんは、大空かんださんの代役や、城後光義さんをはじめとする女装コントグループに参加するなどして活躍した後、友人の伊原某さんと「コント・コマーシャル」を結成してストリップ劇場の幕間で修業を積んでいました。

一方、弟のとおるさんも高校卒業後に上京し、千代田テレビ技術学校で学ぶにつれ裏方志望が高まり、ストリップ劇場で窓口や大道具のアルバイトをしていました。
そんな折り、別の劇場で働いていた兄のくにおさんと偶然再会を果たすこととなり、相方に逃げられてしまったくにおさんに誘われる形で1972年に、さがみ良太門下に兄弟で直り、正式にコンビを結成しました。

なお、結成当初のコンビ名は「コント・コマーシャル」をそのまま引き継いだものでした。
ふたりは浅草松竹演芸場で初舞台を踏み、舞台やキャバレーにて活動しますがなかなか芽が出ず、心機一転1974年から上方(大阪)に移住し、吉本興業に入りました。

ところが、漫才が主流であった当時の関西ではナンセンス・コントの芸風は全く受け入れられず、翌年には吉本を契約解除されてしまいます。
途方に暮れていたふたりを拾ってくれたのが現在の所属事務所である松竹芸能であり、松竹芸能に所属するとともに漫才へと転向、コンビ名を「酒井くにお・とおる」に改名しました。

その後は、1977年の「NHK上方漫才コンテスト」にて優秀敢闘賞を受賞、1980年の「お笑いスター誕生!」では女装コントを中心に7週勝ち抜くなど、見事な活躍ぶりを見せます。
また、スタッフの手違いで急きょ代役出演することとなった「お笑いネットワーク」では、披露したネタが若手目当ての追っかけ女子高生ファンなどの若いお客さんばかりで全くウケず、絶望したとおるさんが客席に向かって言った「ここで笑わないと、もう笑うトコ無いよ」、「ウチらの漫才、二つか三つしか笑うトコないから、皆さん笑う努力して」、「忘れて頂戴忘れて頂戴~」、「こんな話二度とやらんわ」というボヤキが突如脚光を浴び、自虐的ボヤキ漫才の第一人者の地位を確立しました。

酒井くにお・とおるの芸風は結成当初はナンセンス・コントで、くにおさんが花柳流日本舞踊の素養があることを活かして振袖姿でタップダンスを踊ったり、ローラーゲームのように舞台を走り回ったり、当時上野動物園に来たばかりだったパンダの着ぐるみを着て暴れたりと、体を張った“時事物ドタバタコント”を行っていました。
その後漫才へ転向し、舞台上で極度の緊張から台本を忘れてしまったくにおさんが、咄嗟に「とおるちゃん!」と連呼して急場を凌いだことから生まれたギャグや、上述した自虐的ボヤキ漫才で人気を博しました。

そんな酒井くにお・とおるの受賞歴は、1977年「第7回NHK上方漫才コンテスト」優秀敢闘賞、1981年「お笑いスター誕生」銀賞、1994年「第29回OBC上方漫才大賞」奨励賞、1996年「第25回YTV上方お笑い大賞」金賞、1997年「第32回OBC上方漫才大賞」大賞となっています。
現在も、漫才を披露する傍ら小劇団の定期公演も行っており、精力的に活動中です。
今では現役最ベテラン兄弟漫才コンビである酒井くにおさん、とおるさん、今後のご活躍もとても楽しみですね!

結成時期 1972年
所属事務所 松竹芸能
芸風 漫才
この芸人と似ているタイプの芸人 なし
運営しているSNS なし
ニュース・噂話など 酒井くにおとおる 兄弟で45年…かつてタモリに「マンネリ」とも
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