横山たかし・ひろしのお笑い動画・芸歴・芸能噂話・運営しているSNSなどの情報

スポンサーリンク

横山たかし・ひろしは、「横山たかし」さんこと山高考さんと、「横山ひろし」さんこと小林秀光さんによる松竹芸能所属の漫才コンビです。
ふたりは明蝶学院で出会い、横山やすしさんの弟子となり、1968年にコンビを結成します。
同年に新世界新花月にて初舞台を踏みました。
当初は師匠である横山やすしさんと同じ吉本興業に所属していましたが、やすしさんが弟子たちに振るう暴力が凄まじく、見かねた正司玲児さんがふたりを弟分として引き取る形で松竹芸能へと円満移籍させてくださいました。
そのため、正司玲児さんも横山たかしさん、ひろしさんの師匠とされています。
特に、たかしさんがやすしさんに暴力を振るわれることが多く、たかしさんいわく、「弟子に付いた間に千発位はドツかれた」、「命の危険を感じた事もあった」というほどでした。
阪神高速道路で車から降ろされて置き去りにされたり、てっちり屋の二階の窓から屋外に蹴落とされたこともあったそうです。
そんなことがありながらも師弟の絆は固く、たかしさんはやすしさんをとても尊敬しており、やすしさんのお葬式では「師匠は、漫才の星から地球へ漫才しに来た、漫才星人です」と言って号泣したというエピソードもあります。
また、ひろしさんも、やすしさんが生前ひろしさんの家に残した「もしもし横山やすしだが、ひろし頑張りや。うん、よう見てるで。一着取りや。以上!」という留守番電話メッセージを現在も大切に保管し続けています。
コンビ結成直後から一気に売れっ子となり、下積みの苦労はほとんどしていないふたりでしたが、徐々にマンネリ化、人気も下火となってきてしまいます。
そんな中、1990年代に入り、やしきたかじんさんが「たかし・ひろしの漫才は面白い」と、番組にゲストとして呼んでくださったことをきっかけに再び人気を取り戻します。

横山たかし・ひろしの芸風は漫才で、結成直後はたかしさんがオカマに扮し、ひろしさんに迫る「おかまどつき漫才」を披露していました。
その後は、「ホラ吹き漫才」を永らく披露し続け、ホラ吹き漫才の第一人者とされています。
このホラ吹き漫才は、金色の派手なジャケットを着たたかしさんが、「すまんの〜。大金持ちのおぼっちゃまじゃ。みんな笑えよ〜」と登場し、「芦屋からヘリコプターで来たんじゃ」、「ぶっちゃけた話、わしは外車に乗っとるんじゃ」、「家には秀吉が使うた皿があるんじゃ」とホラを吹きまくり、ひろしさんにネタ崩しをされると、「犬の名前が秀吉なんじゃ〜」と逃げつつも最後は降参、赤いハンカチを咥えながら悔しがったり泣きが入ったりする、という漫才です。
ホラ吹き漫才は、1971年に神戸松竹座に出ていた頃、たかしさんが「藤圭子の愛人だ」とホラを吹いたところ、大変ウケたことがきっかけで生まれたと言われています。

放送されない舞台では下ネタもあり、「最近ごぶさたなんじゃ、頼むわ〜」など年配女性客に絡む場面もあったりするようです。
そんな横山たかし・ひろしの主な受賞歴は、1971年「第1回NHK上方漫才コンテスト」新人賞、1973年「第3回NHK上方漫才コンテスト」優秀努力賞、1994年「第29回上方漫才大賞」大賞となっています。
現在、コンビ結成から既に46周年を迎えるおふたりは、今なお現役です。
たかしさんは2014年に腰部脊柱管狭窄症を発症し、約1年間活動を休止していましたが、2015年3月には自称「48億円の純金車いす」に乗って漫才活動に復帰しました。
1年ぶりの舞台でしたが、「38億円の純金衣装が重すぎて腰を痛めた」、「金ぴか車いすは安倍総理がおぼっちゃまが苦しんどるからと手配してくれた」などホラ吹きは絶好調で、会場は爆笑に包まれたようです。
ひろしさんはボケ防止のために落語にも挑戦しているそうで、まだまだ現役のおふたりの活躍が今後もとても楽しみですね!

結成時期 1968年
所属事務所 松竹芸能
芸風 漫才
この芸人と似ているタイプの芸人 不明
運営しているSNS 横山たかし・ひろし |松竹芸能株式会社
ニュース・噂話など 横山たかし漫才再開「48億円の純金車いす」で登場
横山たかし 師匠やすしに1000発以上殴られた
スポンサーリンク

 - コンビ芸人, ベテラン, 人数, 所属事務所, 松竹芸能, 漫才, 芸歴, 芸風